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さう云ひかけた時だつた。さつきから口々に何か叫び、又しづまりかへつていた下方で突然又あの板切れの井桁積みがくづれる音がした。その異様な、ばりばりといふ音は何か鋭い速い広い浪のやうな不安をひろげた。それは偶然の不吉な暗示を与へたやうなものだつた。誰かが、ずつと先きの方で溝をとび越え、木柵にとりついた。すると、又何人かが土手を駆け登つた。めりめりと木柵を引倒す音が立つた。と思ふと、房一は突嗟とつさに身をひるがへして土手づたひにその方へ走つていた。彼は一二度傾斜で滑り、殆ど転んだかと見えたが、間もなく身体を起した時にはもうその場所に立ちはだかつていた。
「失礼ですが、もしか、あなたは高間さんではありませんか」
小谷は不安げに呟いた。
「別に惜しいほどのことではありませんよ」つづけて、ふいに調子を変へると、
「はゝ、知つているな。よし、よし何もいやしない」
日々は平凡に単調に過ぎて行つた。
それは、やつぱり何となく「役所」臭かつた。
「それとも、あれかね。やつぱり日露戦争のときみたいに、船で吉賀の先の浜へ上つてそれからやつて来るんかね」
「おや、いつのまにそこに来てなさつたかね。お茶ですか、上げますとも」
「ふむ、ふむ」
男は語尾に力を入れて、房一の眼の中をのぞきこんだ。
「うん」
さう云ふ房一の前に立つて、徳次は子供が手いたづらをするのとそつくりな様子で傍にひよろ長く生えていた草を片手でむしりとり、口にくはへた。さつきはじめて傍へ近よつたときのやうに、彼の顔は又紅らみどこか力んでいる表情を浮かべながら、口のあたりをもごもごさせた。