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「これからどちらへ?」
「あれなら、私の方からいゝやうにしときます」
「何んの。面倒だからこのまゝ行かう」
口を切つたものの房一は頭の中でとまどつていた。あんなに考へていた言葉が今急にどこかへ消えてしまひ、何を云ひ出したのか後をどう云つたものか判らなくなつてしまひさうに感じた。彼はかすかに汗ばみ、そのどちらかと云へば醜いむくれ上つた眉肉や厚い唇が力味を帯び紅ばんで来た。
黒い影はぴよこりとお辞儀をした。それから台所から射す光りの中に全身を現すと、それを眩しがつているとも照れたとも見える表情を浮べながら近づいた。
それを今又さつぱりとやつてしまつたのだ。髯のなくなつた彼の顔は、ずつと前のそれに逆戻りはしないで、病後の面変りも手つだつて、その円つこい縮ちゞかんだ輪郭が何かしら小さく、愛くるしげに見えた。
「一つ着て見せたらどうです?高間さんにはきつと似合ひますよ」
「うむ、判る?――ね?」
「え、何だつて、徒歩てくで通るかつて?」
「ねえ、高間さん。どうもこの追鮎は背中に掛り傷があるんで元気がないですよ」
「どこの帰りかね」
「いや、鳴つた。出張所の鐘がたしかに鳴つていた」
「あのね、何ですよ――」